2026.08.03

AIで映像は作れても、ブランドとしての「判断」までを委ねてはならない

最近、AIを活用した映像作品を見ていると、いつも少し複雑な気持ちになります。映像の完成度やクオリティはどんどん上がっているのに、心に深く残るコンテンツはそれほど多くありません。空間のシームレスな切り替え、抽象的なビジュアル表現、商品のデモンストレーション。かつては多大な費用と時間を要した映像表現も、今ではあっという間に作れるようになりました。しかし、映像が完成したあとも、ブランドが向き合うべき根本的な課題が減るわけではありません。「なぜ自社がこの物語を語るのか」「視聴者はなぜ、それに耳を傾けるべきなのか」という問いです。

AIで映像が作成できても、そこから始まるコミュニケーションは人間が考えなければならない

もしコンテンツの目的が「ビジュアル・インパクト」そのものであるなら、AIは極めて優秀なツールです。視聴者が楽しむのはアイデアやテンポ、スタイリッシュな画づくりであり、一つひとつのカットがAI生成かどうかをいつまでも追及するわけではありません。しかし、ブランドコンテンツが扱うべきなのは、より複雑で答えのない領域です。「なぜその人物は悲しんでいるのか」「なぜその言葉を、ほかでもないこのブランドが語るべきなのか」「ブランドがそこまで真剣に向き合っていると、視聴者は何を根拠に信じられるのか」。どれほどカット数を増やしたとしても、こうした本質的な判断の代わりにはなりません。AIは「物語らしい形」を組み立てることはできます。けれど、どの細部を残し、誰に語らせるのかという『選択』は、やはり人間が先に考え抜かなければならないのです。

AIが生成したクルマが集まって巨大な波を形成しています。動きはなめらかで、色彩や光の演出にも統一感があります。画像出典:https://news.qq.com/rain/a/20260706A08X7400

人物を描こうとすると、課題が見えてくる

美しい風景やVFX、ファンタジー的な世界観は、目新しさによって一瞬で視聴者を惹きつけることができます。しかし、人物描写はそうはいきません。視聴者は無意識のうちに「この人物はどんな背景を生きてきたのか」「なぜ今、この言葉を口にしているのか」という文脈を読み解こうとします。

物語のリアリティは、往々にして目立たない細部に宿ります。たとえば、何度も料理の試作を重ねてできた手元の小さなやけどの痕。あるいは、自分でもまだ気持ちを整理しきれておらず、話の途中でふと言葉を詰まらせる瞬間です。AIはこうした細部を表面データとして生成することはできても、どれがその人物の文脈と真に結びついているのかまでは判断できません。それまでのストーリーが欠落していれば、どれほど精巧な映像であっても、その場しのぎでカメラの前に立たされた役者のように見えてしまいます。だからこそ私は「AI特有の違和感」が永久に残る課題だとは思っていません。顔立ちや身体の動き、光の当たり方といった技術的な違和感は、遅かれ早かれテクノロジーが解決するはずです。それ以上に埋めるのが難しいのは、その人物が歩んできた「背景」と、ブランドがその物語を紡ぐ「真の理由」なのです。

コカ・コーラ:技術は進歩しても、クリスマスの「温もり」は戻らなかった

2025年、コカ・コーラは2年連続で生成AIを活用し、同社の象徴的なCM「Holidays Are Coming」のリメイクを実施しました。このグローバルなクリスマスキャンペーンでは2本のAI映像が制作され、クリエイティブスタジオのSilversideやSecret Levelが制作に参加しています。コカ・コーラ公式の発表によると、今回は不自然さが指摘されやすかったAI生成の人物描写を大幅に減らし、ホッキョクグマやウサギといった動物たちが象徴的な赤いトラックを迎えるストーリー構成へと変更されました。

車輪が氷の上を滑るような物理的な不自然さは解消され、シーンのつながりや光の演出も前作より遥かにシームレスになっています。しかし、世間の議論や違和感の声が消えることはありませんでした。多くの視聴者は、かつてのクリスマスCMにあった独自の温かみが感じられず、ノスタルジックな記憶の外殻だけを再現しているかのようだ、と受け止めたのです。この現象は、課題が単なる「映像表現の完成度」だけにとどまらないことを如実に物語っています。象徴的な赤いトラック、美しい雪景色、煌めくイルミネーション。そうした要素・記号をいくら完璧に揃えたとしても、かつてのCMが私たちの心に育んでいた「クリスマスを心待ちにする高揚感」までもが、自動的に戻ってくるわけではないのです。

1995年 コカ・コーラ「Holidays Are Coming」 CMより。画像はコカ・コーラ公式YouTubeチャンネルから。
2025年 コカ・コーラ「Holidays Are Coming」 CMより。画像はYouTubeチャンネル「Things off Tape」から。

人間の「判断」とは「AIが生成した映像を選ぶこと」だけではない

「AIが実行し、人間が判断する」というフレーズは一見すると合理的であり、業界でもよく耳にします。しかし、意識して定義しなければ、実態のない形骸化した言葉に終わってしまいがちです。真の判断とは、制作の最終段階ではなく、もっと手前のプロセスで下されるべきものです。ブランドはまず「誰に対して語りかけるのか」を自問し、「なぜ他ならぬ自社が、このストーリーを語る意義があるのか」という問いに明確な答えを出しておかなければなりません。

もちろん、AIに委ねるべき領域も存在します。実写撮影が不可能なビジュアルの構築や、大量のバリエーションを要するローカライズ展開などです。一方で、制作をAIに任せた瞬間に、その存在価値そのものが失われてしまうコンテンツも存在します。子どもが憧れの存在へ向けて綴った手紙や、ある人が自らの実体験を自身の言葉で語るシーンなどです。こうした表現が観る者の心を揺さぶるのは、まさに生身の人間が自らの手や言葉で紡ぎ出したという事実に他ならないからです。

本質的な問いが整理されていない状態で生成スピードだけを加速させても、表面上は完成していても成果につながらないアウトプットが大量生産されるだけに過ぎません。

生成されたすべてのコンテンツに、発信する価値があるわけではない

現在、私はAIを「作業スピードは極めて速いが、自ら手を止めるタイミングを知らないパートナー」として捉えています。AIはほんのわずかな時間で10本の動画を提示できますし、ありふれたアイデアであってもそれらしい完成形へと瞬時に膨らませてくれます。

ブランドに求められるのは、提示された10本の選択肢の中から、単に最もビジュアル映えする1本を選び出して配信することではありません。映像表現の迫力にとどまらず、消費者がその奥にあるストーリーや感情に真に共鳴できるか否かを、的確に見極めることです。表面的な映像クオリティばかりを追い求めてしまうと、本来最も重要であるはずの「消費者の心を動かす本質的な動機」がかえって覆い隠されてしまうのです。