2026.08.24

ライト層からコア層まで:抖音はいかにして「スポーツへの興味」を「シームレスな体験連鎖」に変えたのか

「スコアなんてどうでもいい。大切なのは、今日はあなたがストレスフルな日々に一撃を食らわす番であるということだ。」

これは、あるピックルボールのイベントに向けて提示されたキャッチコピーです。この企画は、ByteDance傘下のマーケティングプラットフォーム「巨量引擎(Ocean Engine)」が主導し、主に中国版TikTok「抖音」上で展開されたスポーツプロジェクト「運動超有趣」の一環として実施されました。ライト層に向けた各イベントのネーミングは、非常に秀逸です。「どこでもゴロゴロヨガ」「夕焼けヒーリングラン」「ピックルボールでKPI打ち砕き大会」といった具合です。これらのイベントは、タイムや順位といった競技性をあえて誇張せず、「上手くなくても、気軽にふらりと参加していい」というメッセージをユーザーに優しく伝えています。

以前、トレンド用語「Sportcation」を扱った弊社記事の中で、若者がなぜ生活の実感や精神的な余裕を取り戻す手段としてスポーツを求め始めたのかを考察しました。今回はその一歩先にある「いかにしてそのムーブメントを構造化しているのか」という具体的なマーケティング設計に注目します。ただし「運動超有趣」プロジェクトは、単にスポーツ未経験者の背中を押して屋外へ連れ出すだけの施策ではありません。ランニング、サイクリング、フリスビー、ピックルボール、さらには近年世界的に注目を集めているHYROXに至るまで、多種多様な競技や各地のコミュニティ活動を単一のフレームワークの中に統合しています。つまり、ライトな体験型イベントでユーザーの好奇心を受け止めつつ、本格的なトレーニングキャンプや専門的な競技イベントによって、すでに基礎のある上級者の受け皿も同時に確保しているのです。

この取り組みで真に評価すべきは、共通の情緒的価値を伝えるメッセージを軸に据えることで、スポーツの熟練度や参加目的が異なる人々を単一の体験の連鎖へと自然に引き込んでいる点です。ユーザーはまずオンラインで「これはまさに自分のことだ」と共感できる動機を見つけ、次にオフラインで自らの体力やコミュニティに合った最適な活動へと参加します。ビギナーにとって最初の第一歩を踏み出すことはもちろん重要ですが、それはこの壮大な体験の連鎖におけるほんの「出発点」に過ぎないのです。

画像は『巨量引擎2026抖音スポーツマーケティングレポート』より引用。

多様なユーザー層を巻き込む「感情のエントリーポイント」

このプロジェクトの優れている点は、最初からユーザーを運動能力やスキルで機械的に分類しないことです。その代わりに「都市ノマド」「メンタルヒーラー」「アクティブソーシャル派」「サイバーチャレンジャー」といった、多様な「運動パーソナリティ」を提示しています。まだ参加をためらっているライト層にとって、専門的なルールや高価なギアを研究するよりも、「自分にしっくりくるライフスタイルのラベル」から入るアプローチの方がはるかに心理的ハードルが下がります。

続いて投入された「AIスポーツアバター機能」も、この最も軽やかな接点づくりに寄与しています。日常の写真を一枚アップロードするだけで、スポーツを楽しんでいるスタイリッシュな自分のアバターが即座に生成されます。実際に球技ができたり、長距離を走れたりする必要はなく、まずはコンテンツ空間で「スポーツをする自分」を可視化すればよいのです。ここで提供されているのは、過酷なトレーニング体験ではなく、「自分にもできそうだ」「仲間に入れそうだ」という前向きなフィーリングです。

なお、公表されているデータには、AIアバター生成から実際のリアルイベント参加への直接的な転換率までは記載されておらず、アバター作成をもって直ちにスポーツを始めたと断定することはできません。しかし、このステップがユーザーとの最初のタッチポイントを劇的に広げたことは確かです。そして、すでに日常的にスポーツを楽しんでいる中上級層に対しては、同じ情緒的メッセージを軸としつつ、KOLの本格コンテンツ、ローカルのスポーツクラブ活動、専門種目の競技企画などを介して、より深いエンゲージメントへと誘導する設計になっています。

まずは自分の「運動パーソナリティ」を選び、それから行動するかどうかを決める。
画像は『巨量引擎2026抖音スポーツマーケティングレポート』より引用。

興味はリアルの場に着地させる、しかし一つの現場だけにではない

オンラインコンテンツが果たす役割は、体験に対する心理的ハードルを極限まで下げることです。そしてオフラインのリアルイベントが、芽生えた興味を「現実の人間関係やコミュニティ」へと昇華させます。パーソナリティの診断ラベルやAIアバターは、ユーザーに「これはまさに自分だ」と直感させる触媒となります。そして実際のイベントやローカルクラブ、仲間との繋がりが、熱量を帯びたユーザーに「次にどこへ向かえばよいか」という明確なアクションを示してくれるのです。

スポーツのビギナー層にとって、初めてリアルイベントに参加する際の懸念事項は「周囲から浮いて気まずくならないか」「どんな服装や持ち物が必要か」「ついていけなくなった時に途中で休めるか」といった不安の解消に尽きます。一方で、すでに実績のあるランナー、サイクリスト、あるいはHYROXの愛好家といった中上級層が求めるのは、トレーニングの質の高さ、同レベルの切磋琢磨できる仲間、そして専門的な装備や補給体制の充実度です。

プロジェクト側の公表データによると、「運動超有趣」では地域や競技の特性を生かした50以上のユニークなリアルイベントが展開されました。アウトドア・スポーツブランド「FoYes」が主宰した「百人野心トレーニングキャンプ」はその典型例です。これはHYROXのアスリート層をターゲットに据え、高度なトレーニングプログラム、補給設計、専門スタッフによるサポートを提供することで、よりコアなニーズに完璧に応えました。このプロジェクトの真価は、すべての人々を画一的な「初心者向け体験会」に集めるのではなく、多種多様な競技種目や負荷強度のイベントを用意し、オンラインで生まれた興味の「次の受け皿」として網羅的に機能させた点にあります。ただし、公表されている資料のみでは、これらのリアルイベントへの参加がユーザーの長期的なスポーツの習慣化やコミュニティへの定着にどこまで寄与したか、慎重に追跡検証する必要があります。

FoYesの「百人野心トレーニングキャンプ」はHYROXプレイヤーを対象に、本格的なトレーニング、補給体制、専門的な現地サービスを提供し、よりコアなスポーツニーズに応えている。
画像出典:https://baijiahao.baidu.com/s?id=1868782713500567197

リアルな「場」が存在することは、まずユーザーが抱く「どこへ向かえばよいか」という迷いを解消します。ビギナー層に対しては、順位づけを排除し、途中で自由に休める配慮を施し、親切な参加案内を用意することで、「現地へ行ったものの、本当に自分も飛び込んで大丈夫だろうか」という不安や心理的障壁を取り除きます。一方で、ステップアップを目指す中上級層に対しては、トレーニングそのものの質の高さ、切磋琢磨できる仲間のコミュニティ密度、そして専門的なサポート体制こそが、定着への決定打となるのです。

「順位づけの排除」は体験設計の一つに過ぎない

「どこでもゴロゴロヨガ」「夕焼けヒーリングラン」「ピックルボールでKPI打ち砕き大会」といったユニークなネーミングは、ビギナー層が抱く「他者と比較される心理的プレッシャー」を和らげる手法として非常に効果的です。手持ちのスポーツウェアで気楽に参加でき、新しい仲間と出会ったり、綺麗な夕日を眺めたり、あるいはボールをネットの向こうへ打ち返したりする素朴なアクションそのものが、参加者にとって心地よい達成感となります。

しかし、この「カジュアルさ」がプロジェクト内のすべてのイベントに当てはまるわけではありません。HYROXのトレーニングキャンプやサイクリング、トライアスロンといった本格的な競技企画には、そもそも明確なトレーニング目的と専門的な文脈が存在します。これらの参加者は、決してパフォーマンス評価から逃れたいわけではなく、むしろ自己ベスト記録を更新したい、高度なトレーニング法を共有したい、あるいは最新のギアや補給食をテストしたいと望んでいるのです。このプラットフォームの巧みな点は、すべてのスポーツを「楽しければそれでOK」と画一的にレベルダウンさせるのではなく、共通の情緒的メッセージを掲げつつも、各競技が本来持っている本格的な参加目的や魅力をそのまま尊重・担保していることです。

したがって、ブランド側が単に「参加ハードルを下げる」という表面的な施策だけを安易に模倣すべきではありません。真に重要でありながら難易度の高い仕事は、自社のターゲット顧客が現在どのフェーズに位置しているのかを的確に見極めることです。顧客がいま求めているのは、失敗を恐れずに踏み出せる「最初の一歩」なのか、それとも、より高度な専門性と深い帰属意識が得られる「次のステップアップ」なのかを正しく洞察しなければなりません。

なお、公表されているプロジェクトの振り返りデータでは、初参加者の比率、実際の現地参加率、リピート参加率などの詳細は開示されていません。これらの公開資料は、プラットフォームが多層的なイベントをいかに構造化したかを示す優れた事例ではあるものの、それによってユーザーが恒常的な運動習慣へと定着したかどうかについては、今後の追跡検証が必要です。

ライト層向けのイベントでは、他人との比較によるプレッシャーを軽減する工夫をルール設定や運営サービスへと落とし込む必要がある。
画像は『巨量引擎2026抖音スポーツマーケティングレポート』より引用。

単一のターゲット像を捨てよ:ブランドが設計すべきは顧客の「フェーズ」に応じた体験の居場所

「運動超有趣」プロジェクトが提示する真の示唆は、すべての顧客を「初心者」として一括りに扱うことではなく、顧客の熟練度やモチベーションの段階に応じてエントリーポイントを用意することにあります。この考え方を他業種の3つのブランドカテゴリに当てはめて考えると、その構造がより明確になります。

最初の一歩| 楽器ブランドのケース
一度も楽器を習ったことがない層が抱くのは、「音を外して恥をかかないか」「店舗で周りの人に演奏を聴かれないか」という心理的恐怖です。ここで有効なのは、あらかじめ音色がセッティングされ、簡単なコードだけで演奏できる「1曲体験セッション」のような仕掛けです。ソロ演奏やその場での購入を強いる必要はありません。このフェーズで追うべき指標は、当日の売上ではなく、「体験後にまた店に足を運びたいと思えたか」という再訪意欲の形成です。

定着・習慣化| スキンケアブランドのケース
すでに製品を購入し、試したことがある顧客が求めているのは、2度目の成分解説ではありません。「そのスキンケアが、忙しい通勤、睡眠不足の夜、あるいは季節の変わり目といった『自身のリアルな日常生活』に無理なく定着するかどうか」です。店舗での長い商品説明よりも、短時間で変化を実感できる半顔試用や、生活シーンに合わせて持ち帰れるサンプル配布の方がはるかに効果的です。ここでは、効能を過度に誇張せず、リピート来店率や現品の購入率を重要指標としてトラッキングします。

さらなるステップアップ| カメラブランドのケース
すでに写真撮影を趣味としている中上級層は、「初心者向け撮影教室」のようなイベントには魅力を感じません。彼らが必要としているのは、特定の被写体や環境での実践撮影、最新機材の試用、そして技術や知見を語り合えるコミュニティ空間です。ユーザーが自らの課題感を持って参加し、新たな発見や判断材料を得て帰れる撮影会を設計することで、機材のレンタル率、リピート参加率、そして最終的な買い替え・追加購入へとつなげます。

「運動超有趣」の事例に話を戻すと、キャッチーなイベント名が注目を集めがちですが、本質的な価値は「スポーツを楽しむ人々」を単一の集団として扱わなかった点にあります。ある人は自分にしっくりくる「運動パーソナリティ」から気軽な第一歩を踏み出し、またある人は自身の目標を胸に、より専門的なトレーニングやコミュニティへと足を踏み入れました。

優れた体験デザインとは、消費者にただ参加を催促したり、一味違ったイベントでむやみに参入障壁を下げることではありません。「今の自分にとって、この場所は適しているか」「ここへ来れば何が得られるか」「その次はどこへ進めばよいか」を、すべての顧客が直感的に理解できるように設計することです。消費者の「興味」がこのように丁寧に受け止められてこそ、ブランドと顧客の持続的な関係性が育まれていくのです。